茶の町の歴史

茶の町の歴史

「茶町」の地名は、徳川家康による駿府96カ町の町割でこの辺りに茶を商う人々が集められたのが始まりです。

この地域が「お茶の町」として大きく発展するのは明治時代のこと。当時、緑茶は生糸と並ぶ重要な輸出晶で した。静岡で生産されたお茶も最初は横浜から輪出されていましたが、明治39年に清水港からのお茶の直輸出が 開始されると、茶町周辺には輪出茶を仕上げる再製工場が増加しました。このころ、北番町、安西には、外国人 茶商の支店や出張所も多数開設されました。大正末期には、安西まで鉄道が開設され、電車を使って清水港まで 輸出用のお茶を運んでいました。茶町通りを走っていたこの路線は昭和37年には廃止され、今ではその面影も ないのが残念です.戦後、輸出量は減りましたが、北番町に静岡茶市場が開設され、製茶間屋や、生産者と問屋、 また間屋同士を仲介する才取(さいとり)など、茶業に携わる様々な人々によって、お茶の町は発展してきました。

Town Planning by leyasu to District of Tea Merchants. The name of the “Cha-machi. area originated with the gathering of people trading in tea around this district through Tokugawa !eyes. planning of town blocks called ’96 Towns of Sunpu.. The large development of this area ae “Oche-no-machr is from the Meiji Period. At that time, green tea was an important export, along the lines of raw silk. Although tea produced in Shi • • I was at first exported from Yokohama, when tea began to be directly exported from Shimizu Port in 1906, the number of secondary processing plants for green tea In the Cha-machl area increased. Around this gme, in Kftaban-cho and Anzal, branch offices of foreign tea dealers were established in large numbers. At the end of the Taisho era, a railway to Anzal was .tablished and tea for export was delivered to Shimizu port by train. The tracks that ran along Cha-machi Street were put out of use in 1963 and, sadly, no trace of them remaIns today. After WWII, although the amount of exports decreased, a market for Shizuoka tea was established in Igtaban-echo, and through various individuals related to the tea industry such as tea manufacturing wholesalers, tea growers and wholesalers, as well as tea brokers acting as agents between wholesalers, “Oche-no-machi. was developed.

茶の町の歴史

茶の町のお茶屋

茶の町の歴史

産地、ブレンド、加工法・・・。
得意分野やを活かした連携も。

茶町界隈には今も100軒もの製茶間屋が軒を連ねています。全国の 生産地から集められた荒茶(あらちゃ)が北番町の静岡茶市場で取引 され‘製茶間屋の工場で仕上げ加工にれを再製といいます)のあと、 また全国に流通していきます。つまりここは様々な産地のお茶を扱う技 術にすぐれた地域なのです。お茶屋さんごとに得意分野があり、間屋さ ん同士の連携がとれていることも、この界隈がお茶の町として成長して きた理由のひとつといえるでしょう。

茶の町のお茶屋

お茶だけじゃありません。
歴史散策も楽しめます。

お茶の町には、かつての名残を思わせる石碑や神社が点在しています。現在の護国神社の前身「招魂社」の地が周辺より若干高くなっているのが特徴です。また「駿河小判」をつくった後藤庄三郎ゆかりの「金座稲荷」はお金の神として信仰されており、パワースポットといえるかも知れません。春桜がみごとな八雲神社境内には遊具も整備され、市民の人気のスポットとなっています。

茶の町の歴史

食べ物

茶町の歴史とともにある、隠れた名店がいろいろ。

新茶の時期には早朝から動き出すお茶の町の人々を支えてきた定食屋さん 老舗のお寿司屋さん、幕末から続く昔ながらの和裏子屋さん、わさび屋さんなど お茶の町とともに歴史を歩んできた名店がいくつもあります。散策しながら、寄 り道しながら、目分好みのお店を見つけてみませんか。

茶の町の食べ物
茶の町の食べ物
茶の町の食べ物
茶の町の食べ物

茶の町マップとメンバー紹介